「殺風景」観劇における諸々まとめ(今更)

 
実は今回ブログを始めるに当たり、記録用でだらだら感じたことを残しておきたいと思っていましたが、一番やりたかったのはむしろ今回のまとめ…!
 
私は自身のTwitterにてレポ13やら18やらとだらだら記録してしまうのですが、見辛いさかのぼり辛い書き辛いの嵐でしたので伊野尾くんの「カラフト伯父さん」の前にブログを設立しておこうと思い立ったのが、本当は一番の目的でした。
 
今回は過去にだらだら垂れ流していた八乙女光くん主演舞台「殺風景」について昔のツイートを振り返りつつまとめておきたいと思います。っていうかいざ振り返ったらあまりのひどいレポートに頭を抱えましたこれは恥ずかしい~(*_*)
まあ参考程度に新しく文をまとめ直したいと思います。
 
 
※ただ、自分は普段頻繁に舞台を(特にストレートプレイは)観劇しないただの四季ミュージカル好きなど素人なので解釈の仕方や考え方に可笑しな部分があるかと思いますが、ど素人の戯言かとするするスルーして頂けたら嬉しく思います。
 
 
 
 
最初に言っておくと、個人的には最強に考えさせられて最上級に惹かれて最高に面白かった!
 
 

語彙力が無さすぎて、ありきたりな感想しか言えず薄っぺらすぎてこのままでは到底終れないのでいくつかに分けて魅力を語ってみたいと思います。

 

 

劇場が作り出す絶妙な舞台と客席の距離感
正直なところ劇場関連は全く(愛知県以外は特に)詳しくなく、全く程度がわからないのですがシアターコクーンおよびシアターBRAVA!はいい意味で小さくとても舞台と客席との近さに驚いきました。これくらいが普通なんでしょうか…。
とりあえずシアターコクーンでの座席はかなり後列の端の方でしたがストレスフリーで役者さんの動きも見えていました。さすがに細かな表情などには限界がありましたが、双眼鏡とまでいかない簡易なオペラグラスさえあれば充分楽しめる程度だったと思います。
 
 
 
引き込まれるストーリー展開と笑いと涙
とりあえずシリアスとコメディのバランスそして切り替わりが最高に素晴らしい。全体からも漂いつつ随所で悲しい運命を匂わせるシリアスさが親しみやすく舞台ならではのテンポの良さで繰り広げられるコメディを引き立て、またその滑稽なコメディが悲哀に満ちたシリアスさを引き立てていたように思えました。
 
特にコメディもただお馬鹿な訳ではなく、いい意味で上品じゃなく下品であり本当に馴染みやすく男臭い笑いだったと思います。台詞回しはもちろんですが、役者さんの演技によって更に引き立てられていたと思います。
 
 
そんな場面はいくつかありましたが、私の最も好きな場面の一つである食卓を囲んでの何気ない家族のやりとりから殺害を決断するシーンを少し取り上げたいと思います。
 
マリ「サラダみたいんは買うてこんかったと?」
直也「あ、忘れとった!(稔に)買うつもりやったんよね?」
稔「ああ、忘れとったね」
直也「(マリに)ゴメン、単純なミスたい、俺たちの」
マリ「別によかけど」
直也「わー、失敗した…。(稔に)コンビニ入るまでは言いよったんよね、『パスタとサラダでよかね』って」
稔「言いよったね」
直也「わー、失敗した…。(マリに)ゴメン、単純なミスたい、俺たちの」
マリ「だけん別によかよ」
直也「全然穴だらけやんか、こん計画。金庫奪うために、あん家忍び込んだら順と出くわして、しょうがなかけん口止めで殺して、金庫あけても金は一銭も入っとらん。(~中略~)あんたら玉砕覚悟かもしれんけど、俺はそげんかつ絶対勘弁やけん。まだまだやりたかこつ、いっぱいあっとですよ、これからん人生。まだまだやり残しとるこつがいっぱいあっとですよ、俺ん人生」

稔「じゃ、俺がやるばい」
人を、しかも直也と稔にとっては幼馴染みである友人を1人殺した後であるにも関わらず、なんの違和感もなく一般的な家族のやりとりが行われていました。ただ表面はそう見えていても、やはりこれからの悲しい運命と非日常が内側ではそれぞれ渦巻いていたのだと思っています。
 
 
 
台詞回しによる世界観の形成
やはりこの「殺風景」の最大のポイントでもある、大牟田弁で繰り広げられる会話は本当に魅力だと思います。掛け合いなどのテンポも方言の助けもあり更に面白くなっていたのではないでしょうか。
 
そして方言の中でも標準語とのギャップが激しくて耳慣れなく、たまに意味が取りづらい言い回しがあるにも関わらずストーリーは素直に感じ取れるのが不思議でたまりません。
 
また、過去編ではあまり感じられませんでしたが、現代それも時系列で最近に近づくにつれて細かな地名や固有名詞が多くなっていたように思えました(思い込みかもしれませんが…)。
新栄町、ミニストップ、福龍軒、マックスバリュゆめタウン、冷えピタなどなど…
それにより舞台の背景などが更に身近に感じられました。
 
 
 
時間と場所が移り変わっても素直にストーリーが入ってくること
時系列順に話が進んでいく訳ではなく、5を超える場所と様々な時間軸などころころと場面が移り変わっていき、継ぎ接ぎのようにストーリーが埋められていくのにお馬鹿な私でもなぜか頭の中でごちゃごちゃにならないのには驚きました。
そして照明などの演出も単色のライトや単純な暗転などの使い方、そしてBGMやSEも絶妙ですごく複雑に絡み合った話をうまく繋げている接着剤となっていました。
 
 
 
正反対で似た者な刑事
花輪さんの子供さんは大丈夫でしょうかという冗談は置いておいて、個人的にはもっと袴田を掘り下げてくれても良かったなーとか思っていましたが妄想で補いたいと思います笑 
大牟田の街が殺風景だ、ということを掘り下げていくのが袴田であったのはすごく深かったです。袴田は最初はただ冷静に仕事だけをこなす人物だと思っていましたが、その奥にも熱い気持ちが眠っていたのを知って更にぐっときました。

 

 

 

過去の売春スナックにて
クニオがマリに一途なのは理由もはっきりしていてよく分かったのですが、マリがクニオと結婚するに至るまでの気持ちがあまり汲み取れなかったのは後悔でした…!クニオの目が嫌いなどととありましたが、クニオの内面に対しての気持ちももっと知りたかったなあという欲が少し残ります。ただ、それが結婚までの間ではっきりしてしまうと、直也の存在が難しくなってしまうのかなあとも。
余談ですが大和田さん素敵すぎてファンです正直おっぱいも素敵すぎて床を拭いてる時も魅力的でした(意味深)
 
 
直也の事実と限りなく人間らしい存在
やっぱり大倉さん演じる直也の存在が、この舞台の肝であるなあとしみじみ思っておりました。
もちろん存在としてもすごく意味深いのですが、何よりセリフ回しとその演じ方には圧倒されました。
特に彼が自身の身の上を気付いた上でそれを告げるシーンは本当に胸が締め付けられました。
 
節子「あんた、こん二人の子じゃなかよ」
国男「おい…」
節子「当たり前やんね、淫売の子なんやけん。誰が父親かなんちわからんやろ。それこそロシアンルーレットよ」
直也「だけん?」
節子「え?」
直也「だけん何が言いたかつか」
節子「いやだけん…」
直也「俺も馬鹿じゃなかけん。そんぐらいのこつ気付いて生きとるばい。こん人たちん目見たらわかるやん。明らかに俺に気ば遣うとるけん。一生懸命俺にバレんよう気ば使うて生きとるけん。とっくにバレとっとに。俺、そん度に笑いそうになるっちゃん。ま、俺ももう大人やけんさ。そんかこつ今更どうでもよかとよ。鬼ん首ばとったごたるこつば言うとっとじゃなか。まさか俺が『え…?』なんちうろたえるとでん思ったつか、馬鹿。俺は俺で生きとるけん。今更そんか話、どうでもよかったい。稔、何ばやっとっと。早うチャカば貸せ」
彼が自分の事実に気付いていながらも、子供の頃から笑いあって家族と接している様子を想像するだけで苦しいです。
 
 
 
アイドル八乙女光と役者八乙女光
アイドルとしての光くんしかちゃんと見たことがなかった私は精一杯役者をこなす光くんに圧倒されっぱなしでした。きっと彼なりに苦労を重ねてあの舞台になっていたのだと思いますが、名優に囲まれた重圧のなかでもがきながらもたどり着いた答えがこの舞台だと思います。今回この素晴らしい舞台のセンターに立ちしっかりと礼をする光くんからは彼の遠くまで続く未来が見えたように思えました。本当に素晴らしかった!もっとせっくすせっくす叫んで欲しいのはただの趣味です笑
 
 
 
 
まとめ
実に重たく、報われない苦しく切なくもどこか暖かいこの虚しい舞台が本当に素敵でした。すぐ感情移入してしくしく泣いてしまう私は、むしろ舞台が終わったあとに色々考えて余韻によりぼろぼろ泣いていました笑
 
印象に残ったシーンは数多くありますが、マリの幸せになってやるというセリフ、クニオが自分の子供を生んでくれとマリに頼むセリフ、直也の出生が明かされたシーン、何度でも見たいと思った場面ばかりでした。
 
そして何より、稔が一番最初に引き金を引く時、初めて人を殺す時の表情がどうしても見たい。けど見たくない。笑
客席に背を向けて引き金を引く時彼はどう思っていたのか、獄中で自殺をはかった際はどう思いつめていたのか、考えても考えても虚しいです。
 
 
そして何よりヤバイのは、大阪に2度目を見に行った際に、この素晴らしい余韻で劇場を出た瞬間に大阪城公園でライブをしていたバンドの
「聴いてください、次の曲!!『茶柱stand up!!』」
の一声で全てが吹き飛んだことですかね!いや、恨んでいませんよ。もちろん。
 
 
でもやっぱりあの舞台のあの終わり方が本当好きでした。クニオがぼうっと照らされてじわじわ光が消えて行く感じが。
その少しずつ消える光が完全に消えたら、彼らの言葉では言い表せないあの苦しい葛藤だとか存在までもが無かった事のように消えてしまうようで、苦しくて切ないです。
 
 
 
 
以上が観劇レポートになります。たった二回見ただけですので、記憶違いなどたくさんあると思います…!
 
 
カラフト伯父さんはもう少ししっかり隅から隅まで見てやりたいと思います笑
今から楽しみです。
 
伊野尾くんにしかできない伊野尾くんらしい舞台になりますように。